才能について

才能について先ほどツイッターでつぶやいたんだけど、もう少し書いてみます。最初に書こうとしたことと結構変わって、書いているうちに、書きたいことよりは書いている気持良さが優先しているので、途中意味不明なところは無視してくださいw

才能と薄い膜

才能を取り囲む人々や社会の見識が低すぎて、見出されず、潰れてゆく才能が多々あることは社会の損失である。ただし、社会の平均値は常に高くないので、これが通常の状態である。たまたま運がよいか、本人の不断の努力で薄い膜を突破したものだけが才能を開花させることができる。しかしこの薄い膜、薄いが非常に強い。そしてそれは「社会の普通の人々」の絶え間なる協力によってその強度を維持している。それは「常識」であったり「見識の低さ」であったりするのだが、これは新鮮な空気を必要としている才能に時には死をもたらすほどの硬い膜となる。

見識が高いと自覚する人々は才能の上空にかかるこの薄い膜に穴を開ける人々である。あるいはヤスリでこすって少しでも突き抜ける際の手助けをする人である。膜の薄い部分を才能に教えたり、膜を突き抜ける強力な錐をプレゼントする人々である。

そもそも薄い膜自体は才能を必要としていない。才能は敵ですらある。才能が薄い膜を突き破るとき、膜の外の危険な空気が一瞬膜の中に入り込み、膜の中の秩序が崩れる。温度が変化し、外敵が侵入する恐れもある。膜は敗れた部分を修復するために一回り大きな膜を作成する。あるいは、今までの周囲の膜の構成を変更する。これが価値の拡張であり、まだ見ぬ新しい世界の到来である。才能はこのように世界を広げる力を持っている。

才能は時として弱く歪である。だから、自分に合わない薄い膜の外に出ようとして失敗し、その不甲斐なさに絶望する。そして、多くの「才能」は過程である。薄い膜を突破しようと奮闘するが、そもそもそこには既に薄い膜がなかったり、幻想の薄い膜を創りだして一人芝居をしている。薄い膜は遥か上空にあるので、そこにたどり着くものは多くはない。

多くの才能が膜を越える手前で諦め、絶望する。絶望したのは才能の力不足か?客観視。それもよいだろう。ただ、一人の力はどうしても弱い。才能がなくても、見識が高ければ才能を見出し突破を支援することはできる。

見識が高いと自覚する人はこういう行為を行うべきだと思う。

終わりに

ということで、僕も微力ながらやります。でも、まだ力が弱いのであまり影響力のある支援ができません><、力を持ったら良いと思う活動の支援をして行きたいと思っています。

話が壮大になってしまいましたが、本当は「誰にも気づかれない人」について書こうと思っていましたw それについては後ほど。誰か気づいてあげないとかわいそすぎるだろ!と思います。主体的にw

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