情熱について雑感

情熱について雑感The Passion Facade

情熱について雑感です。最近、情熱を人から感じる経験が幾度あり、普段からこれに関して思っていることがあるので思考をまとめるために書き出してみようと思います。ちなみに、情熱がある状態が気になっているだけで、情熱がある状態こそが正しいと思っているわけではありません。

話を簡単にするための前提として、「情熱がある人」というのは「ある対象に対して内部から湧き上がるエネルギーを感じる状態が断続的に継続している状態にある人」とします。生まれてから死ぬまでずっと情熱があるというのではなく(そういう人もいるでしょうが)、ある期間内でそういう状態にある人のこととします。そして、「情熱」は「「情熱がある人」が抱えている高エネルギー状態」と定義します。

思いついたままに箇条書きに近い形で書いていきます。

情熱=内部から沸き上がる高いレベルのエネルギー

それは表現されている場合も、そうでない場合もあります。つまり、もの静かだから情熱がないとは言えないのです。心のなかでは煮えたぎるマグマのような情熱を抱えていて、それを咀嚼しているか、または本人もそれに気づかず苦しんでいるかもしれません。

エネルギーはどこからくるのか

そのエネルギーはどこから来るのかというところが昔から気になっています。情熱のソース(源泉)です。それは、人によって様々でしょう。マズロー的かも知れませんが知識がとても浅いのでざっと思うところを書くと可能性のあるものとして、

  • 貧しさから抜け出したい。
  • 認められたい。
  • 見返したい。
  • もてたい。
  • 才能を発揮したい。
  • 世界をより良くしたい。
  • 単純に楽しい。
  • 知りたい。

などがあると思いますが、例としてあげた「貧しさから抜け出したい」、「認められたい」、「見返したい」、「もてたい」、「才能を発揮したい」のグループ(グループAとします)と、「世界をより良くしたい」「単純に楽しい」「知りたい」のグループ(グループBとします)とでは情熱の種類が違うと感じています。

どちらも、エネルギーが高い状態ですが、グループAがその欲求を満たすために他人を必要としているのに対して、グループBは特に他人を必要としません。

欠けている状態の解消

情熱の源泉としてひとつは欠けている状態を解消したいというものがあると思っています。この欠けている状態の解消可能性が低いと思われるものに打ち込んでいるというその状態が、エネルギーを要するので、そういう人は情熱がある人になるのかもしれません。

情熱の鉱脈

無尽蔵のように見えるそのエネルギーには複合的でしょうが何らかの理由があると思っています。欠けている状態の解消もその一つです。しかし、グループBの情熱はどこから来るのか。グループBの人たちは何かの拍子に、情熱の鉱脈のようなものにぶち当たったのではないかと感じることが多いです。

情熱の鉱脈の危険性

冒頭にも書きましたが、情熱はすべて正しいとは思っていません。情熱は高エネルギー状態にあるだけなので、地域単位、国単位、人類単位で共有している善悪の判断とは別の問題です。それは既存の価値観とは相容れない可能性があります。

カリスマ性

既存の価値観とは関係なく、情熱を人に感じさせる人は物事に打ち込む姿勢などからカリスマ性を帯びることが多いと思っています。人と惹きつける魅力を持ちます。それは、時に厄介ですべての人に平等に受け入れられるものではないですが、ある人々にはとても強く影響します。

情熱の鉱脈とはなんなのか

人類はわかっている数千年の歴史の間は、発展しているように見えます。いろいろな見方がありますが。今から過去を振り返ると、移動速度は劇的に向上し、地球の裏側の人とも瞬時にコミュニケーションが取れます。それらの点から良くなっていると仮定します。それに、他の動物も同じですが、種の連続性を保っています。ということは、平均すると生きたくないという人よりは生きたいという人の方が多いということになりますし、便利でないほうが良いという人より便利であったほうが良いという人が多いのだと思います。

話が大きくなってしまいましたが、情熱の鉱脈とは種の集合意識のようなものと近いのかなと感じることがあります。種としてはエネルギーは常にプラスでそれがある人の情熱という形で表に出てきているのです。

そろそろ寝ます

眠くなってきたので今日はここまでにします。長めの呟きでした。論理的におかしいところだらけだと思いますが、わからないことを考える時ってこういう状態の思考しますよね、ということで。

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